矢沢隆夫です。
紫苑コーラスの
大先輩であられる
山崎末一郎先生が
2025年9月21日、
亡くなられました・・・
享年92歳。
紫苑コーラスには
70年間在籍。
すごいですよね。
先生は
大学卒業後、
研究職の仕事に就き、
その後、
高等学校の
教師(化学担当)
になられました。
教師になって
まもなく、
紫苑コーラスに
入られました・・・
私が
紫苑の男性コーラスに
加わったのが、
10年前の2015年。
先生と同じ
テノールを
担当することになり、
コーラスの
おけいこに
いくたびに、
先生とは、
いろんな
お話を
させていただきました・・・
化学のお話、
山登り、
先生の医療に対する考え、
コーラスの在り方等・・・
自動車免許を
返納してから、
足腰がかなり弱くなり、
むせやすく
なられました・・・
“歩けなくなるのでは・・・”
という恐怖と
闘いながら、
リハビリ、運動を
されるようになりました。
2025年3月
誤嚥性肺炎発症し、
入院。
同年7月退院される際に、
“主治医は
矢沢君に頼む・・・”
と言われました・・・
私は
とってもうれしかったです・・・
“先生のために
全力を尽くそう・・・”
と思いました。
吉田病院、
吉田の訪問看護、
私達の訪問看護リハビリチーム
などで、
山崎先生の
在宅療養に関する
チームが
結成されました・・・
先生曰く、
“今年も
紫苑の定期演奏会に
参加したい・・・!”
先生の気持ちは
すごくよくわかったので、
看護、リハビリスタッフと共に、
定期演奏会に
参加できるよう、
加療を進めていきました。
ところが、
在宅チーム結成後、
1ヵ月位で、
誤嚥性肺炎の再発・・・
再び、
入院治療となりました。
加療により
肺炎はすぐに
改善しましたが、
定期演奏会に
確実に参加していただくべく、
入院を継続。
入院中に、
先生の励みにも
なればと・・・
と考え、
私達のコーラスの
おけいこの
様子の
CDを作成し、
先生に
聴いていただきました・・・
亡くなる日も、
先生は
ボリュームを
いっぱいにしながら
(病棟の看護師にボリュームが大きいと、
注意されたようです)
楽しそうに
そのCDを
聴いておられたようでした。
死因は老衰。
肺炎ではないのです。
CDを聴いて、
先生は
安心されたかしら・・・
とも考えました・・・
亡くなられた翌日、
ご自宅に弔問に
伺いました。
“幸せそうな安堵された
お顔・・・”
でした。
生前、
先生がよく
歌っておられた、
『O sole mio』
(オーソレ ミオ・・・私の太陽)
が今となっては
とっても
懐かしいです。
そして、
先生から頂いた
清水脩 合唱曲全集
『月光とピエロ』
は、先生の形見に
なりました・・・
“死ぬまで、
合唱はするよ・・・”
まさに、
その通りに、
されたのです・・・
有言実行・・・!
山崎先生、
92年間の
人生・・・
お疲れ様でございました・・・
そして
ありがとうございました・・・
私も
山崎先生と
同じく、
死ぬまで、
コーラスは
やり続けます・・・!








