矢沢隆夫です。

現在、
サルタヒコを祭る神社は、
数えきれないほどあります。

サルタヒコが
行列の先導をつとめる
祭礼行事も
いたるところで
見られます。

私が住んでいる
新潟県三条市で

毎年5月15日に
開催される

「春季大祭」

においても、
サルタヒコは、
大名行列の
先導を
つとめております。

(COVID-19の影響で、
 残念ながら、
 昨年、今年と2年連続で
 大名行列は中止になりましたが・・・)

全国いたるところの
祭礼行事で
現在もなお、
受け継がれている
「サルタヒコが先導する行列」・・・

遠い昔には、
きっと、

“栄光の時代”

があったと
思われますし、

日本全国民に、

「平和と幸せをもたらす」大神

だったと推測されます。

そして、
今もって

サルタヒコには
多くの

「謎」

があり、
昔から多くの
先達が

その「謎」に
挑んできました。

そのいくつかを
ご紹介しましょう。

江戸時代の
医師、国学者、言語学者であった
本居宣長先生の説・・・

サルタヒコ

という名前の由来について・・・

「口尻明かり輝れり・・・」
(これはサルタヒコの外見の形容です。)

シリアカリ が  ⇨ シカル ⇨ サル

と縮まって

サルタヒコ

という名前になったと
本居先生は考えました。

そして
本居宣長先生の
弟子である、

国学者 平田篤胤。

彼は、

「古事記」や「日本書紀」に
でてくる
「サルタヒコ」は、

『出雲国風土記』に
登場する

“佐太(さだ)大神”

と同じ神であり、 
猿とは無関係であると主張しました。

また、

「伊勢の狭長田(さなだ)」

に住んだという記載より、

「猿田」

は、

地名にみられる
「サナダ」や「サダ」

から来ているとも
考えました・・・

なるほど・・・と
思いますし、 
とっても興味深いところ
ですよね・・・

まだまだ
先達たちの
興味深い説がありますが、

続きは
次回にします。

ではまた・・・