矢沢隆夫です。

前回は、
“神に近い”が
神ではない
マリアに、

だんだん
“母性”が
強調されていく
お話をしました。

実は、
それ以前の
マリアは、
もちろん、
女性なんですが、

“母性”が
ほとんど
強調されず、
“神性”(神ではないのですが)、
のほうに
重きがおかれたため、

描かれ方は、
実は、
あまり
女性っぽくなかった
のです。
(大変失礼しました!)

そういう
背景が
微妙に
関係していると
思うんですが、

その当時の
天下の
“芸術の都”フィレンツェ
といえども、

一般の
女性は、
絵のモデルに
なることを
嫌う傾向に
あったのです。

ところがです。

マリアに
母性が
強調されはじめると、

とたんに、
「マリアのモデルなら・・・」

と、自ら
すすんで
マリアのモデルに
なる女性たちが
どんどん
ではじめたのです。

このあたりの
感覚、
わかりますか?

女性なら
ふつうに
わかる
感覚なのでしょうか?

そして
ラファエロは、

この女性たちの
意識の変化、空気を
たくみに
感じとりました。

ラファエロは、
「実在の」
女性を
モデルにして、
マリアを
描きました。

というより、
描き続けました。

描き続けることで、

「より生き生きして、
洗練されたマリア」

を完成させて
いったのです。

じゃあ、
なんで、
ラファエロは、
マリアを
描き続けたのか?

描き続ける必要が
あったのか・・・?

続きは
次回です。

お楽しみに。